好きな国紹介 1
どうも、本物の神、真なるGODです。
今シリーズは私が好きな国を紹介していきたい、と思います。
記念すべき第1回は1897年から1910年まで現在の朝鮮半島に存在した
"大韓帝国"
について紹介したい、と思います。
建国までの歴史
建国までの歴史については大雑把に言うと
元々清朝の属国であった李氏朝鮮が欧米各国による開国の煽りを受け、宗主国である清朝の弱体化や日本の国力向上に伴い、日清戦争により勝利した日本が清朝に宗主権を放棄させたことで
独自の皇帝を戴く"自主独立の国"として建国された国家、です。
大韓皇帝の不可侵性や無限の君主権などが定められていたため実質的に絶対君主制になります。
旧日本と同じタイプですね
まあともあれ僅か13年間しか続かなかったこの国ですが、
常に周辺の二国に翻弄されていました。
その二国とは、、
そう、日本とロシアです。
南下政策を進めたいロシアと大陸への足掛かりが欲しい日本に絶えず翻弄されるのです。
では見ていきましょう。
冊封体制から脱却
そもそも朝鮮半島の王朝は歴代の中国王朝に大抵の場合、服属し、冊封されていました。
冊封体制とは基本的には中国王朝の皇帝を唯一絶対のものとし、中国王朝に臣下の礼(朝貢)を取ることで○○王などの皇帝より格下の称号を中国王朝より授与される、というものでした。
(皇帝より王が下なのはこの冊封体制内の話です。西洋では常にemperorよりkingが下などということはありませんし、日本の天皇も冊封体制には組み込まれていないため日本の天皇が中国王朝の朝貢国の王たちより格上とするのは間違いです。)
なぜこんなことをするのか?
それは中国王朝の強大さとイデオロギーにあります。
単純に国力も周辺国を遥かに上回り、更に元々周という中国王朝時代から中華思想なる思想がありました。
中華思想とは簡単に言えば自分たちこそが世界の中心でありリーダーである。
他の国は野蛮であり我々に服属する他ない、という考え方です。
この思想をイデオロギーとし、圧倒的な国力を背景に歴代の中国王朝は世界のリーダーを自認します。
この大韓帝国の前身である李氏朝鮮は元々当時の中国王朝、明に朝貢していました。
しかし、明が弱体化した隙をつき明に服属していたはずの現在の中国東北部にいた満州族が統一され後金を名乗ります。
後金は李氏朝鮮に自らに従うよう求めますが李氏朝鮮は明に対する忠誠心が比較的高く、(建国して間もなく自分から朝貢している。)明が弱っていても後金の要求を断ります。
しかし、後金は大軍勢を以て李氏朝鮮に侵攻。
李氏朝鮮はあえなく降伏し、王が三跪九叩頭を行い臣下の礼を直接取る、という極めて侮辱的な形で後金と名目上は兄弟の関係(実質的には属国扱い)を結びます。
その後、李自成の乱で明が滅ぶとその混乱に乗じて李自成の建国した順王朝を滅ぼし、後金が中国の統一王朝となり、国号を清、と改めました。
とは言えここで疑問ですよね?
清は満州族、つまり中国の主要民族、漢民族ではありません。明に服属していた一地方の異民族に過ぎなかったはずです。
いきなり異民族に支配される、と言われても普通に反抗しますよね?
しかし、これにもちゃんと理由があります。
李自成を利用したのです。
李自成に敢えて明を滅ぼさせ、その明に仇名した逆賊を滅ぼした、という大義名分を以て清は漢民族を支持を集めます。
これは極めて重要でありこれにより、スムーズに広大な中国大陸を支配することができました。
話を戻しますが清に無理矢理服属された訳です。
力関係から。
そして時は流れ世界最大最強と謳われた清朝も衰退の一途を辿ってきました。
清が弱体化し、欧米各国にならまだしも当時、極東の新興国であったはずの日本に敗北し、ついに朝鮮半島に対する宗主権を放棄することになります。
そして、遂に!
"自主独立の国"として念願であった皇帝を戴く国家となったのです。
大韓帝国の終焉
しかし、その実態は自主独立とは程遠いものでした。
1904年の日露戦争での日本の勝利により朝鮮半島からロシアの影響力が排除されその2年後には韓国統監府が置かれるなど次第に日本の保護国化していき、最終的には1910年の日韓併合により大韓帝国は消滅します。
僅か13年の歴史でした。